最近、「がんで死ぬのが一番いい」 という言葉を見聞きすることが増えました
最近、メディアやSNSで、
「がんは最後まで自己決定権が保たれやすい」
「だから、がんで死ぬのが一番いい」
といった趣旨の発信を目にすることがあります。
この言葉に、
どこか引っかかる感じや、
その違和感は、とても自然なものです
実際の臨床の現場にいる緩和ケア医の多くは、
「がんで死ぬのが一番いい」という言い方をすることはほとんどありません。
なぜなら、がんの経過は決して一様ではなく、
- 強い痛み
- 呼吸苦
- 不安やせん妄
- 日常生活が急激に損なわれる時期
が生じることも、決して少なくないからです。
もちろん、何もしなくても苦痛がないあるいはとても少ないという場合もあります。
一方で、私も数千人のがん末期の患者さんを診てきましたから、
いくら複数の熟練の専門家が緩和ケアを行っても、苦痛の緩和が難しかった場合も経験しています。
がんは個人差がとても大きい病気です。
「無治療でも」「抗がん剤をしなくても」苦痛が強かった場合も、数多くの経験をすると診るものです。
そのような経験からは「がんで死ぬのが一番良い」とは言い難いです。あくまで経過に依ります。
そして専門家として本当に数多くの、様々な診療場所(在宅、病院、ホスピス)で患者さんの
緩和ケアに当たってきた本当の経験豊富な専門家がそれをあまり口にしないのも、
同じような経験を積んでいるからでありますでしょう。
「自己決定権が保たれやすい」という側面だけでは語れません
確かに、がんの経過では、
- 意識が比較的保たれる期間が長い
- 治療や過ごし方を自分で選べる時間がある
というケースもあります。
しかしそれは、あくまで一部の側面です。
現実には、
- 症状の出方
- 進行の速さ
- 体力や年齢
- 併存疾患
によって、経過は大きく異なります。
本物の緩和ケア医が大切にしている視点
緩和ケアの専門家が大切にしているのは、
「どの病気で死ぬか」
ではなく
「その人が、どのように過ごせるか」
という視点です。
がんでも、
がん以外の病気でも、
- つらさが強いこともある
- 穏やかに過ごせることもある
どちらも現実です。
「○○で死ぬのが一番」という言葉の危うさ
「○○で死ぬのが一番いい」という言葉は、
- 誰かを安心させる意図
- 医療の現実を単純化した表現
であることもあります。
しかし、受け取る側にとっては、
「つらくても我慢しなければならない」
「苦しくなるのは仕方がない」
という誤ったメッセージになることもあります。
また「がんで何もしなければ最も苦痛が少ない」と堅く信じている医療者の
診療を受ける場合、自身のつらさが思うように伝わらないこともあります。
それは怖いことでもあります。
大切なのは「ケースバイケース」という視点です
病気の経過も、
最期の迎え方も、
すべてはケースバイケースです。
一般論だけで、
「これが一番いい」
「こうあるべき」
と決めつけることは、現実的ではありません。
だからこそ、専門家との相談が重要です
緩和ケアの役割は、
- 痛みや症状を和らげる
- 不安を整理する
- これからの過ごし方を一緒に考える
ことです。
「まだ先の話だから」
「今は関係ないから」
と思わず、
違和感を覚えた時点で相談していい分野です。
まとめ
「がんで死ぬのが一番いい」という言葉に、
もし引っかかるものを感じたなら、
病気の経過は人それぞれ。
一般論よりも、あなた自身の状況が何より重要です。
迷ったときは、
一人で結論を出そうとせず、
緩和ケアの専門家と一緒に考えてみてください。

















